ケモメトリックスとは、化学(ケミストリー)と計量(メトリックス)を組み合わせた造語です。ここで紹介する研究では、実験データの解析に利用しています。ケモメトリックスを使わなくても同じことができる場合もありますし、実際、論文に「ケモメトリックスを使った」と書かなかったこともあります。しかし、ケモメトリックスを知らなかったら、このような研究はやらなかったでしょう。そういうわけで、ここでケモメトリックスについて簡単に紹介しておきます。有機半導体薄膜についてより強い関心を持ってくださる方は、このページは飛ばしてくださって結構です。
初めてケモメトリックスに出会ったのは、あるセミナーでIR-MAIRS(infrared multi-angle incidence resolution spectrosocpy)[1]についての講演を聞いた時でした。 薄膜への赤外光の入射角を変えながら吸収スペクトルを測定し、ケモメトリックスの手法を使うと、偏光方向が薄膜の基板面内と面垂直の場合のスペクトルが得られる、ここから分子配向が決まる、というのに驚きました。当時、私は偏光を回しながら紫外・可視光吸収スペクトルを測定して、真空蒸着膜中の分子配向を決めようとしていました。しかし、分子軸(正確には光吸収の遷移モーメントの向き)が基板に対してmagic angle(55度)以上なのか、以下なのかを決めるのがやっとでした。ですから、精密に分子配向角を決めるのは困難だと感じていました。
その後、ケモメトリックスについて少々勉強し、あらためて大変有用な方法であり、私のやっている有機半導体の構造や電子構造の研究にもいろいろと応用できると確信しました。 実際に、自分で光吸収スペクトルや光電子分光など、身の回りにある実験装置で使えそうなものには次々に適用してみて、この手法の特徴や注意点などが少しずつ分かってきました。
ケモメトリックスは大変に大きな分野です。ここでは、主にスペクトルの強度変化と微小変化を取り出すために使っています。これにはPrincipal Component Analysis (PCA)あるいはPrincipal Factor Analysis (PFA)と呼ばれている方法を用いています。
角度分解X線光電子分光(ARXPS)の詳しい原理については、後で詳しく解説します。ここでは、ARXPSのデータを解析するのにケモメトリックスをどのように使ったか、を簡単に説明しておきます。
ARXPSでは、試料基板の角度を少しずつ変えながら、X線光電子分光(XPS)スペクトルを測定します。今までは、一つ一つのスペクトルを適当な関数(Gauss, Lorentz, Voigtなど)でフィッティングし、スペクトル強度を求めていました。これではたくさんのスペクトルを処理するのは大変です。
PCAを使うと、固有ベクトルとその係数に分解できます。固有ベクトルは1−3個で、これらに関数をフィッティングしてやれば、(スペクトル強度)=(固有ベクトルの強度)x(係数)によりスペクトル強度を求めることができます。手間が大幅に減るだけでなく、解析の精度も高くなります。
[1] T. Hasegawa, J. Phys. Chem. B 106, 4112 (2002).