京都大学化学研究所

生体分子情報研究領域

植物細胞形態形成の制御機構

Ⅰ. 植物細胞分化における遺伝子発現制御ネットワーク

 

 植物の細胞分化は、遺伝的プログラムに従った細胞系譜や細胞間相互作用のみならず、外界の環境要因によっても大きく影響を受けます。そのような植物特有の細胞分化のモデルケースとして、シロイヌナズナの根毛細胞およびトライコームはこれまで主に遺伝学的アプローチにより研究されてきました。シロイヌナズナの根表皮では、その内側の皮層細胞列との位置関係により、根毛を発生する根毛細胞列と発生しない非根毛細胞列が規定されています。また、葉の表皮では細胞間相互作用により、トライコームは互いに隣り合って発生しないように制御されています。これらの制御には保存性の高い転写制御ネットワークが関わっており、転写因子GLABRA2(GL2)はその下流に位置するボトルネックとしての役割を果たしています(図Ⅰa参照)。GL2の機能欠損変異体では根のすべての表皮細胞列から根毛が発生し、葉でのトライコームの発生頻度の低下および形態異常が起こります。GL2は非根毛細胞列およびトライコームで発現することから、根毛細胞分化に対しては負の、トライコーム分化に対しては正の制御因子として働くと考えられています。

 

 我々の研究室では、強い転写活性化能を付加した改変GL2(VP16-GL2ΔN)を人為的転写誘導系により発現することで、本葉を含む様々な器官の表皮細胞から根毛様形態が発生することを見出しました(図Ⅰb参照)。このことは、一群のGL2標的遺伝子の発現がそのような表皮細胞の形態的変化に十分であることを意味します。この系を利用して転写解析を行い、まずGL2が非根毛細胞列においてホスホリパーゼD 遺伝子PLDζ1の転写を直接抑制することを明らかにしました。さらにGL2標的遺伝子の網羅解析によって、これまでに根毛細胞分化の正の制御因子であることが知られていたbHLH転写因子遺伝子RHD6、RSL1、RSL2、LRL1、およびLRL2がGL2によって直接負に制御されていることを示し、GL2が根毛形成過程を多段階で抑制していることを明らかにしました(図Ⅰc参照)。現在、GL2制御下のbHLH転写因子群のさらに下流の直接標的遺伝子を調べることにより、根毛細胞分化における遺伝子発現制御ネットワークの全容解明を進めています。また、トライコーム発生過程におけるGL2の直接標的遺伝子およびそれらに対する転写制御様式を調べ、根表皮細胞のものと比較することにより、植物表皮細胞分化における普遍的な分子制御機構の解明を目指しています。

 

Ⅱ. 植物細胞における極性の確立・維持機構

 

 植物細胞は、個体や器官においてそれぞれが果たす機能を反映した多様な形態を有しています。また、それ形態は個体や器官の形を決める重要な因子でもあります。植物細胞の変化に富んだ形は、一般に細胞全体または部分領域が一様に拡張する拡散成長(diffuse growth)と細胞壁や細胞膜の生成が常に先端のみで起こることにより細胞の一部が伸長する先端成長(tip growth)の組み合わせによって生み出されます(図Ⅱa参照)。その中で先端成長は、植物細胞の複雑かつ精緻な形態を生み出すために欠かせないものであり、細胞極性の確立・維持という観点からも精力的に研究されてきました。我々の研究室では、典型的な先端成長のみによって形成される根毛を研究材料とし、その形成過程における平面内極性の確立、および先端極性の維持に関わる分子機構の解明を目指しています。

 根毛は根の表皮細胞が部分的に先端成長することにより生み出される細胞性の構造体です。その発生の初期過程ではバルジと呼ばれる突起が形成されますが、その位置は表皮細胞下界側表面上の下端付近に定まっています(図Ⅱb参照)。根表皮では根端をピークとするオーキシンの濃度勾配が形成されており、バルジ形成位置もその勾配に影響されます。しかし、その濃度勾配によるオーキシンの濃度差は一細胞内では極僅かにしかならず、それ自体がバルジ形成位置をピンポイントするのは難しいと考えられます。そこで、バルジ形成位置の決定に関しては、オーキシンの濃度に由来する緩やかなシグナル勾配から尖頂なシグナル分布を生み出すための、自律的な平面内極性の確立機構が想定されています。また、伸長中の根毛先端においても、細胞膜の拡張に伴い根毛先端膜上の制御因子が後方へと拡散するので、先鋭な極性パターンを維持するためには同様の自律的な局在化維持機構が働いていると考えられています(図Ⅱc参照)。現在この想定上の自律的局在化機構はLENS(Localization Enhancing Network, Self-sustaining)と呼ばれています。

 

 我々の研究室では、根毛形成に関与するシグナル因子の中で、ホスファチジルイノシトール4,5二リン酸(PI(4,5)P2)、その生成酵素であるホスファチジルイノシトール4リン酸5キナーゼ(PIP5K)、および植物RhoファミリーGタンパク質(ROP)に焦点を当てています。これまでの研究から、ROPとPIP5Kはin vitroにおいて特異的に結合すること、それらの過剰発現は根毛伸長の促進や平面内極性の乱れなどの共通の表現型を示すことが判っています。これらの知見をもとに、ROP、PIP5K、PI(4,5)P2が中心となる正の制御ループが上記の自律的局在化機構LENSにおいて中心的な役割を果たすという作業仮説を立て(図Ⅱd参照)、シロイヌナズナの形質転換植物系の利点を生かして、生長中の植物(in planta)で構成的検証実験を行なうことにより、それを検証しようとしています。

 

Ⅲ. リン脂質シグナルと細胞形態形成

 

 ホスホイノシチドなどのリン脂質は真核細胞における生体膜の主要構成成分であるだけでなく、特定の膜領域に局在することにより細胞内位置情報をもつシグナル分子としても機能します(図Ⅲa参照)。このためリン脂質シグナルは、細胞骨格形成や膜交通などの細胞内局所的な現象や細胞極性の制御において重要な役割を果たします。例えば、アクチン骨格の再構成や膜交通に関わる制御タンパク質の多くはPI(4,5)P2に結合し様々な調節を受けます。また、動物上皮細胞ではPI(4,5)P2が頂端細胞膜に、PI(3,4,5)P3が側底細胞膜に局在することによって組織形成のための細胞極性の確立・維持を行うことが知られています。

 近年植物においても、細胞内位置情報をもつシグナルとしてのリン脂質の役割が重要視されてきました。伸長中の根毛や花粉管では、その先端の細胞膜にPI(4,5)P2が局在することによって先端成長が正に制御されています。また、シロイヌナズナの根端増殖細胞ではPI(4,5)P2が上端及び下端面の細胞膜に局在し、クラスリン依存性のエンドサイトシスを介してオーキシンの極性輸送に関わることが報告されています。しかし、高等植物ではリン脂質代謝経路が複雑であること、代謝酵素遺伝子の重複性が高いこと、ホスホイノシチドの存在量が動物細胞に比べて一桁低く検出が難しいことなどから、リン脂質シグナルの機能については不明な点が多く残されています。

 シロイヌナズナはPI(4,5)P2生成酵素であるPIP5Kの遺伝子を11コードしています(図Ⅲb参照)。その中でtype Aに属するPIP5K10及びPIP5K11は花粉特異的に発現・機能するとされていますが、type Bについてはそれぞれ花粉を含めた多様な組織で発現し、その生物学的機能についても様々なものが報告されています(図Ⅲc参照)。アミノ酸配列を用いた系統樹解析からtype-B PIP5Kは、被子植物ではPIP5K1-2-3、PIP5K4-5-6、PIP5K7-8、PIP5K9に対応する4つのクレードが保存され、コア真正双子葉植物では基本的にPIP5K1-2、PIP5K3、PIP5K4-5、PIP5K6、PIP5K7-8、PIP5K9に対応する6つのクレードに分類されます(未発表データ)。このことは、type-B PIP5Kがそれぞれのクレードごとに保存された機能を持つことを示唆しますが、根毛伸長にクレードの異なるPIP5K3とPIP5K4が関与することなど(図Ⅲd参照)、type-B PIP5Kはクレード間でも複雑に機能重複している可能性があります。

 

 我々の研究室では、type-B PIP5K遺伝子のそれぞれに対して機能欠損型もしくは機能欠損型に近い変異体を選抜し、それらの二重変異体だけでなく高次の多重変異体を作成し、それらの表現型を順次解析しています。植物における遺伝子機能の重複性はしばしば遺伝学的解析の障害となります。しかし、PIP5Kのように細胞のハウスキーピングを含む多様な事象に関わる場合、その重複性を利用することにより、多重変異体の組合せ次第で、致命的な影響を及ぼさずに特定の現象に対する表現型を得られる可能性があります。この多重変異体解析により、動物や酵母の遺伝学的解析では捉えることができなかったPI(4,5)P2シグナルの新規機能の発見を期待しています。

 

 

 

 

 

 

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Ⅰ. 植物細胞分化における遺伝子発現制御ネットワーク

 

 植物の細胞分化は、遺伝的プログラムに従った細胞系譜や細胞間相互作用のみならず、外界の環境要因によっても大きく影響を受けます。そのような植物特有の細胞分化のモデルケースとして、シロイヌナズナの根毛細胞およびトライコームはこれまで主に遺伝学的アプローチにより研究されてきました。シロイヌナズナの根表皮では、その内側の皮層細胞列との位置関係により、根毛を発生する根毛細胞列と発生しない非根毛細胞列が規定されています。また、葉の表皮では細胞間相互作用により、トライコームは互いに隣り合って発生しないように制御されています。これらの制御には保存性の高い転写制御ネットワークが関わっており、転写因子GLABRA2(GL2)はその下流に位置するボトルネックとしての役割を果たしています(図Ⅰa参照)。GL2の機能欠損変異体では根のすべての表皮細胞列から根毛が発生し、葉でのトライコームの発生頻度の低下および形態異常が起こります。GL2は非根毛細胞列およびトライコームで発現することから、根毛細胞分化に対しては負の、トライコーム分化に対しては正の制御因子として働くと考えられています。

 

 我々の研究室では、強い転写活性化能を付加した改変GL2(VP16-GL2ΔN)を人為的転写誘導系により発現することで、本葉を含む様々な器官の表皮細胞から根毛様形態が発生することを見出しました(図Ⅰb参照)。このことは、一群のGL2標的遺伝子の発現がそのような表皮細胞の形態的変化に十分であることを意味します。この系を利用して転写解析を行い、まずGL2が非根毛細胞列においてホスホリパーゼD 遺伝子PLDζ1の転写を直接抑制することを明らかにしました。さらにGL2標的遺伝子の網羅解析によって、これまでに根毛細胞分化の正の制御因子であることが知られていたbHLH転写因子遺伝子RHD6、RSL1、RSL2、LRL1、およびLRL2がGL2によって直接負に制御されていることを示し、GL2が根毛形成過程を多段階で抑制していることを明らかにしました(図Ⅰc参照)。現在、GL2制御下のbHLH転写因子群のさらに下流の直接標的遺伝子を調べることにより、根毛細胞分化における遺伝子発現制御ネットワークの全容解明を進めています。また、トライコーム発生過程におけるGL2の直接標的遺伝子およびそれらに対する転写制御様式を調べ、根表皮細胞のものと比較することにより、植物表皮細胞分化における普遍的な分子制御機構の解明を目指しています。

 

Ⅱ. 植物細胞における極性の確立・維持機構

 

 植物細胞は、個体や器官においてそれぞれが果たす機能を反映した多様な形態を有しています。また、それ形態は個体や器官の形を決める重要な因子でもあります。植物細胞の変化に富んだ形は、一般に細胞全体または部分領域が一様に拡張する拡散成長(diffuse growth)と細胞壁や細胞膜の生成が常に先端のみで起こることにより細胞の一部が伸長する先端成長(tip growth)の組み合わせによって生み出されます(図Ⅱa参照)。その中で先端成長は、植物細胞の複雑かつ精緻な形態を生み出すために欠かせないものであり、細胞極性の確立・維持という観点からも精力的に研究されてきました。我々の研究室では、典型的な先端成長のみによって形成される根毛を研究材料とし、その形成過程における平面内極性の確立、および先端極性の維持に関わる分子機構の解明を目指しています。

 根毛は根の表皮細胞が部分的に先端成長することにより生み出される細胞性の構造体です。その発生の初期過程ではバルジと呼ばれる突起が形成されますが、その位置は表皮細胞下界側表面上の下端付近に定まっています(図Ⅱb参照)。根表皮では根端をピークとするオーキシンの濃度勾配が形成されており、バルジ形成位置もその勾配に影響されます。しかし、その濃度勾配によるオーキシンの濃度差は一細胞内では極僅かにしかならず、それ自体がバルジ形成位置をピンポイントするのは難しいと考えられます。そこで、バルジ形成位置の決定に関しては、オーキシンの濃度に由来する緩やかなシグナル勾配から尖頂なシグナル分布を生み出すための、自律的な平面内極性の確立機構が想定されています。また、伸長中の根毛先端においても、細胞膜の拡張に伴い根毛先端膜上の制御因子が後方へと拡散するので、先鋭な極性パターンを維持するためには同様の自律的な局在化維持機構が働いていると考えられています(図Ⅱc参照)。現在この想定上の自律的局在化機構はLENS(Localization Enhancing Network, Self-sustaining)と呼ばれています。

 

 我々の研究室では、根毛形成に関与するシグナル因子の中で、ホスファチジルイノシトール4,5二リン酸(PI(4,5)P2)、その生成酵素であるホスファチジルイノシトール4リン酸5キナーゼ(PIP5K)、および植物RhoファミリーGタンパク質(ROP)に焦点を当てています。これまでの研究から、ROPとPIP5Kはin vitroにおいて特異的に結合すること、それらの過剰発現は根毛伸長の促進や平面内極性の乱れなどの共通の表現型を示すことが判っています。これらの知見をもとに、ROP、PIP5K、PI(4,5)P2が中心となる正の制御ループが上記の自律的局在化機構LENSにおいて中心的な役割を果たすという作業仮説を立て(図Ⅱd参照)、シロイヌナズナの形質転換植物系の利点を生かして、生長中の植物(in planta)で構成的検証実験を行なうことにより、それを検証しようとしています。

 

Ⅲ. リン脂質シグナルと細胞形態形成

 

 ホスホイノシチドなどのリン脂質は真核細胞における生体膜の主要構成成分であるだけでなく、特定の膜領域に局在することにより細胞内位置情報をもつシグナル分子としても機能します(図Ⅲa参照)。このためリン脂質シグナルは、細胞骨格形成や膜交通などの細胞内局所的な現象や細胞極性の制御において重要な役割を果たします。例えば、アクチン骨格の再構成や膜交通に関わる制御タンパク質の多くはPI(4,5)P2に結合し様々な調節を受けます。また、動物上皮細胞ではPI(4,5)P2が頂端細胞膜に、PI(3,4,5)P3が側底細胞膜に局在することによって組織形成のための細胞極性の確立・維持を行うことが知られています。

 近年植物においても、細胞内位置情報をもつシグナルとしてのリン脂質の役割が重要視されてきました。伸長中の根毛や花粉管では、その先端の細胞膜にPI(4,5)P2が局在することによって先端成長が正に制御されています。また、シロイヌナズナの根端増殖細胞ではPI(4,5)P2が上端及び下端面の細胞膜に局在し、クラスリン依存性のエンドサイトシスを介してオーキシンの極性輸送に関わることが報告されています。しかし、高等植物ではリン脂質代謝経路が複雑であること、代謝酵素遺伝子の重複性が高いこと、ホスホイノシチドの存在量が動物細胞に比べて一桁低く検出が難しいことなどから、リン脂質シグナルの機能については不明な点が多く残されています。

 シロイヌナズナはPI(4,5)P2生成酵素であるPIP5Kの遺伝子を11コードしています(図Ⅲb参照)。その中でtype Aに属するPIP5K10及びPIP5K11は花粉特異的に発現・機能するとされていますが、type Bについてはそれぞれ花粉を含めた多様な組織で発現し、その生物学的機能についても様々なものが報告されています(図Ⅲc参照)。アミノ酸配列を用いた系統樹解析からtype-B PIP5Kは、被子植物ではPIP5K1-2-3、PIP5K4-5-6、PIP5K7-8、PIP5K9に対応する4つのクレードが保存され、コア真正双子葉植物では基本的にPIP5K1-2、PIP5K3、PIP5K4-5、PIP5K6、PIP5K7-8、PIP5K9に対応する6つのクレードに分類されます(未発表データ)。このことは、type-B PIP5Kがそれぞれのクレードごとに保存された機能を持つことを示唆しますが、根毛伸長にクレードの異なるPIP5K3とPIP5K4が関与することなど(図Ⅲd参照)、type-B PIP5Kはクレード間でも複雑に機能重複している可能性があります。

 

 我々の研究室では、type-B PIP5K遺伝子のそれぞれに対して機能欠損型もしくは機能欠損型に近い変異体を選抜し、それらの二重変異体だけでなく高次の多重変異体を作成し、それらの表現型を順次解析しています。植物における遺伝子機能の重複性はしばしば遺伝学的解析の障害となります。しかし、PIP5Kのように細胞のハウスキーピングを含む多様な事象に関わる場合、その重複性を利用することにより、多重変異体の組合せ次第で、致命的な影響を及ぼさずに特定の現象に対する表現型を得られる可能性があります。この多重変異体解析により、動物や酵母の遺伝学的解析では捉えることができなかったPI(4,5)P2シグナルの新規機能の発見を期待しています。

 

 

 

 

 

京都大学化学研究所

生体分子情報研究領域